1、土地を買っちゃった/2、情報収集の日々

 石神井の木の家、建て主夫婦です。
 養老孟司氏言うところの「新・言文一致体」に挑戦して、
 これから、この家を建てることになった顛末をお話しようと思います。(記録・妻)

1、土地を買っちゃった

 当初、私たちは中古住宅を買うつもりだったのです。そりゃ、私たちは、マクドナルドにも行くし、ガソリン車にも乗っている“えせ”エコロジストだけれど、せっかく建ってる家があるなら、新しい材料やエネルギーを使ってわざわざ自分のために建てなくても、多少古くても、それを利用するべきだ、というエコロジスト的良心があったもので……。もちろん、中古は、土地を買って新築を建てるよりずっと「割安」というのも、それ以上に大きなポイントだったんですが(笑い)。
 そうは言っても、なかなか気に入る中古というのは見つからないものですね。家を探してはや4年。うちの小さな子ども達が足音を気にせず走り回れるように、と家(一軒家)探しをはじめたはずが、マンション暮らしのまま、やつらはどんどん大きくなっていく。
 さすがに息切れし始めた2002年秋のある日、永いお付き合いの不動産屋さんから一枚のファックスが……。思わず、身震いしました。これぞ運命の出会いというのだろうか! なにしろ、この4年の間捜し求めていた条件を全て満たした、公園近くの南道路の土地。その割に値段も手ごろ。売り出し直前の情報ということで、今なら希望の土地を確実におさえられるし。条件にそぐわないのは、唯一、そこに中古住宅は建っていないということだけ……。
 結局、ほぼ即決。私たちはその土地を購入することにしてしまいました。
 ああ、中古住宅さようなら。私たちはやはり“究極”のエコロジストにはなれなかった……。だけど正直、自分の思い通りの家を建てられることになったのには、ちょっと、いや、かなりわくわく。
 こうして、私たち夫婦は、急遽自分たちの家作りに取り組むことになったのです。

2、情報収集の日々

 家を建てようとする人が、昔から、揃いも揃ってやることといえば、本屋に行ってそれ系の雑誌をたくさん買い込んでくるという行為ではないでしょうか。それに加え、夫は私の指令で、図書館に行って住宅関係の本を山ほど借りてきました。その上、最近はインターネットというツールもあるから、情報には事欠きません。「これはどうなんだろう」と、検索エンジンに入力するだけで、怒涛の量の関連サイトがヒットできるし、なかには、疑問に答えてくれるサイトなんかもあったりして、ありがたい一方で、情報の洪水に溺れる危険もありますね。
 まあ、とにかくそういうものを中心に、夫婦で建築の勉強の日々が始まりました。しかし、“えせ”エコロジストの習性で、どうしても「ナチュラル」とか、「木の家」とかいう言葉がタイトルに含まれているものに弱い。具体的に言えば、「チルチン人」とか「木の家に住むことを勉強する本」とか、そういうものに惹かれて、しみじみ読んでは憧れてしまうのです。 かつて、宮脇檀の「それでも建てたい家」という本を読んだときに、「私は決して家を建てるなんて馬鹿なことはするまい」と誓ったはずなのに、「木の香に包まれて、薪ストーブを炊いて、なんて素敵な暮らし!」とつい夢みてしまう毎日でした。
 さて、こうして、書籍、雑誌類とインターネットを駆使して、建築の基礎知識や歴史的変遷、建築業界の裏話や抱えている問題までそれなりにわかってきた私たちは、だんだんと、自分たちの方向性が見えてきました。
 それは、一言で言えば「シンプルだけどしっかりした家を建てよう」という感じかな。
 そうなると、豪華設備が自慢のハウスメーカーに頼むという選択肢は必然的に無し。ハウスメーカーは輸入木材を多用するのも気になるし(地産地消といって、地元で取れたものを地元で消費するというエコロジカルなルールに従えば、国産の木材を使わないといけませんから)。流行のローコスト住宅も無し。低価格にこだわると、どうしてもエコロジーでない素材を多用しなくてはなりません。エコロジストの端くれとしては、可能な限り土に還る素材で家を建てたいのです。
 というわけで、「国産材で在来工法」というのが落としどころかな、と思っていました。今の「在来工法」は昔ながらの日本建築ではなく、住宅金融公庫の規定による新工法で、従来の日本の知恵を生かしているのは「伝統構法」あるいは「木組み」と呼ばれるものだってことは勉強して知っていたけど、ちょっとね……。だって、そういう工法は、建築費・坪100万はくだらないっていうんだもの……。サラリーマン家庭にそんな贅沢できましぇん。

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3、誰に、どこに頼もうか?/4、木住研との出会い

3、誰に、どこに頼もうか?

 ハウスメーカーに一任するのは、とってもラクチン。そうでないとすれば、大まかに言って、工務店に設計施工の両方をお願いする方法と、建築士に設計、監理をお願いし、大工さんや工務店に施工をお願いする方法のふたつがあると思います。
 まずはこのどちらを選ぶか。インターネット上や各種書籍には、「絶対建築士+施工者がベスト」という意見が優勢。ただ、「多くが建築士の書いた意見なんでねえ、その分差し引かないとー」と妻は思っておりました。建築士の費用って言ったらン百万ですから、慎重に考えないと…。しかし夫はハナから「建築士+施工者」派。長いサラリーマン経験から、「餅は餅屋に任せるべき。設計、施工、監理が、別々のほうが緊張感のある仕事ができるはず」と確信をもっている様子。いつものパターンで、妻がうろうろ考えている間もその姿勢は変わらず、結論的には夫の言うとおりになりました。
 というわけで、まずは建築士選びが始まるわけですが、一言で建築士って言ったって、どこでどう探せばいいものか。建築士選びのお手伝いなんて有料サービスもあるけれど、世田谷在住、会社経営者向け的価格設定で、頼む気にはなれない。どうしようかなあ、とウエブサーフィンしていたら、登録するだけで、無料でコンペをしてくれるサイトが二つも見つかったのです。 
 深夜に帰宅した夫をつかまえてPCの前に座らせて「こういうサイト今日見つけたよー」と報告。しかし、サイトを覗いているうちに眠くなった私は「けどねー、こういうの登録しちゃってだいじょうぶなのかしらん」と思いながら、先に寝てしまったのでした。あくる朝、夫はその二つにちゃっかり申し込んだと聞いてびっくり!
 それからは次々と建築士や工務店から資料や計画案が届く、届く…。最終的にはそれは相当な量になり、中にはものすごく時間と労力をかけたものも多く、気軽に申し込んだ罪深さを知りました。「あーもう、私たちのためにそこまでしないでー」という感じ。
 しかし、私たちにしても一生に一度のことですから、情に流されて決めるわけにもいきません。その二つのサイトは、最終的に採用案なしでもかまわないというものだったので、並行して、書籍資料などからも、気になる建築士さんをリストアップしていました。
 しかしねー、こう沢山の候補があると、はっきり言って選べません!
 
 4、木住研との出会い

 そんな時、うちの息子の幼稚園の保護者に一級建築士のパパがいることが判明。しかも私の仲良いお友だちのお友だち。さっそく我家に呼んで相談に乗ってもらうことになりました。彼は現在、なんとあの「伝統構法」を標榜する建築事務所のスタッフ。その事務所は、つい最近有名人のお宅を手がけたことが評判を呼んで大忙しなので、彼のところでは私たちの依頼を受けることは出来ないけれど、相談なら、ということで色々教えてくれました。
 ここで再燃したのが「伝統構法」「木組み」、そして「土壁」への思い。 聞けば聞くほど、それがどんなに優れたものか、どんなにエコロジストの趣味に合うものか、痛いほどわかって憧れは増すばかり。 諦めて放り出したはずのその手の本を、もう一度、読み返しちゃったりして。
 しかし、くりかえしますが、「伝統構法」「木組み」は坪100万というもっぱらの噂! ちょっとその金額は払えません!
「まあ、しかし、やりようによっては100万まで行かないよ」という一級建築士パパ。
 じゃあ、思い切って、「伝統構法」も視野に入れてみようかな。そういえば、前に読んだ本に気になる人がいたなー。
 「伝統構法」「木組み」の数少ない専門家のひとり・木住研の宮越喜彦さん。 彼はある本のインタビュー記事で、構造のことを詳しく説明していて、とても説得力がありました。「デザインより骨組みがしっかりしているのが大事」という夫の趣味にもドンピシャで。事務所はひばりヶ丘だから石神井の近くで気楽だし。
 「とりあえず、会うだけ会ってもらおうかー」と、どこかのファミレスで相談したのを覚えています。が、しかし。本に載っていた電話番号にかけたら「現在この電話番号は使われておりません」とのこと!図書館で借りた古い本だったので、そういうこともありえるか……。
 人間、会えないとなると、より会いたくなるものですね。インターネットで検索して、現在の事務所を探し出し、今度はメールで連絡を入れました。すると、すぐにこんな優しいお返事が。

はじめまして。
木住研・宮越です。
メール拝見いたしました。
11/17(日)はいまのところ外部との打ち合わせ等はありませんので
ご来所いただいて、お話をうかがうことは可能です。

時間はどういたしましょうか。午後2時過ぎぐらいにいたしましょうか。
午前でもかまいません。お知らせください。

どういった設計活動をしているのかなど、お話できると思います。
宜しくお願い申し上げます。


PS/
本には住所がひばりが丘になっていたと思いますが、ちょうど1年前
に自宅近くに移転しました。
最寄り駅は西武池袋線入間市駅。徒歩10分。
市役所向かいのあばら家を事務所にしています。

 

  
 
 

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5、続・木住研との出会い/6、でもまだジタバタする

5.続・木住研との出会い

「まあ、寒い時は、ひとつ余計に着ればいいんです」
 壁面を埋めた建築関係の資料に囲まれて、あばら家の主はそういいました。
 約束の日、訪れた私たちを待っていたのは、ほんとに、古い小さな家。ほら、30年前くらいによく見かけた平屋の公営住宅ですよ。トイレはポットンだし、石油ストーブひとつじゃ底冷えする感じの。
 それで、
「寒くて申し訳ない」といいながら出たのが冒頭の言葉。
 その上、
「クーラーがないんで、夏は暑いですよ。西日がきついので、来年はヘチマ棚を作って遮ろうと思ってます」
 などと言う。
 なんてエコロジスト好みのお方。
 一級建築士といえば、一般的には、痩せていて/グラサンかけてて/スポーツカーか外車を乗り回して/夜遊びしている/軟派なイメージがありますが、、中肉中背のジャンパー姿で日本茶を入れている、あばら家の主・宮越氏はとても実直そうな方でした(多分車は国産のファミリーカー)。
 早速、大きな木のテーブルに資料を広げて、最初の面談が始まりました。
「床の断熱材? 使いませんでした。でもこの家の人、寒くないって言ってましたよ」
 ……。
「白蟻駆除の薬? 使いません。建築前に、敷地に行って、白蟻のコロニーがあるか確認して対処して、あとは定期的に見回れば…。僕の設計する家は床下が高いから、大人でもラクにもぐれますよ」
 ……。
「デザイン性の高い家とか作ってみたい気はありますが、木組みのセオリーや伝統の方法を踏襲しようとすると奇抜なことはできないです。昔の知恵っていうのは、それだけよく考えられているんですよ」
 ……。
「瓦が屋根材としては一番優れています。他より高いけど、長い目で見ればローコストなんですよ」
 ……。
「費用は坪90万くらいはいっちゃうかなあ。それでもウオシュレットもつかないって嘆かれました」
 …………。
 高気密高断熱、白蟻駆除は当たり前、建築技術の進歩でデザインも自由自在、屋根はコロニアルでも室内設備は万全。そんな世間の主流の家作りに背を向けて、自ら信じる道を行く、あばら家の主でありました。
 帰る道すがら、夫は、
「そうだよなあ。寒い時は寒いなりに、暑い時は暑いなりに暮らせばいいんだよなあ」
 とつぶやいていました。

6、でもまだジタバタする

 今から思えば、このときすでに夫の心は決まっていたのでしょう。
 しかし、ここは一生に一度の大決断。最低でも3つの業者に会うべきであるという、どこかで仕入れたセオリーに従って、私たちは、他の、いくつかの建築家、施工会社と面談を重ねました。伝統構法に踏み切るには、費用の問題が大きく立ちはだかっておりますし。
 でも、どうしても心に残る伝統構法・木組みの家。
 そこで、どの面談においても、チラッとその話を盛り込んでしまいます。
 しかし、どの人もどの会社も否定的な反応ばかり。
「いまどきそんな」
「コストパフォーマンスを考えたらお薦めできません」
「できるけど、費用がかかりすぎますよ」
「ああ、在来工法のことでしょう」
 なにを馬鹿なことを…という業界の皆さんの反応に、諦めるより、それならその馬鹿なことをやってみようかと反発してしまうのが私の性格。損得勘定より、やっぱり「なるべく自然に還る家を造ろう」いう志が優先すべきではないのか! なんて熱くなったりして。木住研にしたいなあ、という夫の心の声も聞こえてくるし、日々の勉強のおかげで、おぼろげながら建築費用の内訳などもわかってきていたので、
「よし、やってみよう! ぜーたく言わなければ、坪70万台で木組みの家だって作れるかもしれない!」
 と意気込んでしまったのでした。
 嗚呼、これがエコロジストの性(さが)でございます。

 

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7、古民家工房との出会い/8、左官の江原さんとの出会い/9、3人衆揃い踏み

7、古民家工房との出会い

「施工は、古民家工房っていうところにお願いしようと思うんですよ」
 何回目かの打ち合わせで、木住研・宮越氏は切り出しました。
 ああ、あの…。
 私には心当たりがありました。木の家を作ろうと決めて、ネットサーフィンしていた時に「古民家工房」というウエブサイトを見たことがあったのです。「輪廻転生」とかいう文字が躍る白黒の動画で始まる怪しげなサイトを。「都内・中野の宮大工さんかー。石神井に近くていいけど、なんだかよくわからないサイトだわ-」と思って、そのまま去ってしまったことが思い出されます。
「高橋君って言う若い棟梁だけど、自分で有限会社やってますからね。大工さんも、これからはそういう気概がないと。それに若いってことは、年を取った人より一日の仕事量が確実に多いですから」
「会社名に古民家って銘打ってますからね。自信があるんでしょう」
「僕と組むのは最初だけれど、初めて組むほうが、いい仕事ができるんですよ。お互い緊張感がありますから」
 と、宮越氏は熱心に私たちを説得します。
 まあまあ、そんなに力説しなくても、私たちには他に心当たりもないし、宮越さんに任せると決めたのだから、と施工者は古民家工房にすんなり決定。(直接会えたら、あのサイトの真意を聞いてみようっと)
 今から考えると、私たちのことを考えてというより、宮越さんは、この機会に古民家工房の高橋棟梁と仕事がしたかったのよね。
 ちなみに、あのウエブサイトは高橋棟梁の友人の作ったもので、棟梁自身はPCは苦手だそうです。

8、左官の江原さんとの出会い

 木組みの家に欠かせないのは土壁です。板壁構法というのもあるけれど、釘をなるべく使わない架構に小舞をかいて土壁を塗るのが、昔ながらの日本の家作り。
 だから、大工さんの次は左官屋さんを決めなくてはなりません。
「左官はね、昔僕のところでアルバイトしてくれていた青年で、江原君というのがいるんですよ」
 またもや宮越氏が切り出しました。
「設計を志していたんだけど、左官に惹かれて、結局そっちへ行ったんですよ。まあ、そういう昔のよしみがあるんで、費用的にも頑張ってほしいとか言いやすいし」
「若いけど、すごく研究熱心で」
「土壁の下塗りを友人を集めてやりたいんですか? ええ、そういうノリも理解してくれると思いますよ」
 またまた、そんなに力説しなくても、おっしゃるとおりに致しますってば。
 
9、三人衆揃い踏み

 設計、施工、左官の人選が定まり、それでは我家にご招待して顔合わせをしようということになりました。そのちょっと前に、あの「あばら家」に3人が顔を揃えるという噂を聞きつけた妻は、一足先に会いに行き、はじめて高橋さん、江原さんとお会いしました。
 二人とも30歳そこそこ。古民家工房の高橋さんは、多分"元ヤン"でないかなあ。でもすごく素朴でいい人-って感じ。左官の江原さんは、背が高くてお洒落な雰囲気。左官という職業からはイメージしにくいインテリ風。
 打ち合わせ、といってもまだまだ細部までは決定していないので、大体の感じを話し終えたら、いつのまにか石神井の木の家とは関係のない雑談に。
 まあ、雑談といえども、浮世の話なんてひとつもなくて、ひたすら建築に関することばかり。
 3人で、自分の手の内を見せ合って、
「えー、そんな仕口(大工用語)使うの?」
「なに、そんなに厚く塗れるわけ?」
「やー、これ、どこの資料ですか?」
 とかとか、専門用語を飛び散らかせながら、むっちゃ嬉しそう&楽しそうに話している。
 仕事が楽しい、幸せな男たちです。
 その嬉々とした様子を見ていたら、
「私たち(建て主)って、この人たちの遊び場を、わざわざ自分のお金で提供してるみたい…。なんかくやしい……」
 なんて、密かにちょっとそんなことも考えてしまいましたが。
 数日後、わがマンションにこの3人をお迎え。よもやま話(といってもやっぱり建築関係のことばかり)に花が咲きました。
 たとえば…。
 宮越氏が、吉田桂二氏の薫陶を受け、日本全国を旅して伝統的な民家のわざと美しさに魅せられた話。
 高橋氏が、修学旅行のとき、ブルーシートの隙間から覗き見た清水寺修復の様子が忘れられず、高校を出るとすぐ寝袋かかえてバイクにまたがり、宮大工の本場・京都を目指した話。
 江原氏が、腕を買われて全国から引く手数多のため、1年のほとんどを旅に暮らしているという話(ちなみにこの日も、長野県の国道沿いの現場から駆けつけてくれたのだ)。
 などなど…。
 信じる道を行き、夢を語る3人を目の当たりにして、私たちは、
「おお、こんな素敵な人たちに家を造ってもらうんだなー」
 と、あらためて、目がハートになってしまいました。
 いい雰囲気で会が終わりに近づいた時、しかし、宮越氏が言いました。
「いやア、こんなになごやかなのは今のうちかもしれません。家作りはいろいろありますからね。僕等の間にも微妙な空気が流れることもあるかもしれないし…。夫婦喧嘩が絶えなかった例もありますよ」
 そ、そんな……(-_-;)。
  

 

 
 
 

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10、坪70万円台を実現する設計道/11、サンバダンサー登場

10、坪70万円台を実現する設計道

 最初の設計案には壁も押入も襖も建具もありました。和室に畳もありました。地窓なんていうしゃれた工夫も。
 しかしこの家の構造は伝統構法、木組みに土壁。
 普通に設計していたら、しつこいようだけど坪100万。
 構造にお金がかかる分、他でセーブする必要があります。それには、普通じゃないことをするしかない。
 私たちはそのためにガ-ッと知恵を絞りました。
 たとえば、古くから伝わる日本の床と皆が信じて疑わない畳。
 しかし歴史を紐解くと庶民が畳を使い始めたのはごくごく最近。ついでにいえば押入も襖も建具も庶民階級には縁遠いものだったそうな。
 オッシャ、それなら我家も昔の庶民に倣って、出来うる限り押入、襖、建具、畳を取っ払おうではないか。その勢いで構造も最大限シンプルに。二階天井、床フローリング、一階の仕切り壁、床断熱全てカット。設備も同様。各階トイレ、ウオッシュレットなんて言語道断。今風のしゃれた水道はやめて、昔ながらの水道栓。
「歯なんて台所で磨けばいいんだから、洗面台もいらないんじゃないの?」
 という私の提案は、さすがに夫と宮越氏に却下されましたが。
 こうして、高橋棟梁をして
「これ以上省略できるところは何もないっちゅうくらい超シンプルな家」
 と言わしめた、伝統構法でギリギリ坪70万円台実現!のウルトラC設計ができあがりました。

11、サンバダンサー登場

「あんたんちができるんなら、うちで電気工事やったるでえー」
 私の友人(大阪出身)・通称アヤゾーが威勢良く請け負ってくれました。男の子3人のお母さんで電気工事屋のおかみさん、という形容では、彼女のキャラクターを想像できる人は一人もいないでしょう。
 はっと振り向くほど美しい顔とスタイル。派手な髪型、お化粧、おしゃれが大好き。幼稚園のお迎えに臍出しルックでくるので、それを目当てにお父さんたちのお迎えが増えたとか増えないとか。アイルランド留学、カメラマン、木工作家など華麗な遍歴を持っていたが、木工作家時代に工房に工事をしにきた今のダンナに一目惚れして押しかけ女房に。今じゃ地域密着のお母さん。幼稚園でも小学校でも、そのフランクで人情に厚い性格ゆえに、母親たちにも子どもたちにも大人気。
 一人目の子どもが同じ幼稚園という縁で知り合った彼女。
 なぜか私を異常に気に入り、出会った頃は毎日3回ぐらい電話がかかってきた。
「あんたが喜ぶことは何でもしたるでエ」
 と、子どもの世話から料理まで、甲斐甲斐しく尽くしてくれる。
 3人目を産んだばかりでいっぱいいっぱいだった頃は、随分彼女のお世話になりました。
 それがいつのまにかぱったりと電話が来なくなり、たまにあってもつれない様子。
 一体どうしたの、と理由を問えば、彼女の寵愛は、なんと「サンバ」に移っていたのです。30歳を過ぎてからはじめたというのに、持ち前のバイタリティーで暇さえあれば練習を重ね、今では立派なプロダンサー。様々なイベントやコンサートに引っ張りだこだ。テレビにもよく出ているらしい。単身、ブラジル研修にもでかけたほか、浅草のサンバカーニバルには家族で参加。親譲りの美形の子どもたちを引き連れパレードの華となり、ダンナは電飾を担当したという。
 そんな彼女が、結婚10年以上経っても愛してやまない、ダンナこと大泉電気商会社長のマサカズくんが、我家の電気工事担当です。
 ちなみに彼女も電気工事士の資格を持っているので、手伝いに行くと言っていました。あなたも現場に行けば麗しのアヤゾーに逢えますよ。
 完成披露パーティーでは、彼女がサンバを踊る予定です。
 
 

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12、金山町森林組合との出会い/13、遠路はるばる北海道

12、金山町森林組合との出会い

「えっ!?」
 私は耳を疑いました。
 宮越氏が、
「木(材木)は山形県金山町から買いましょう」
 と言い出したからです。
 実はその昔、ずっと昔にどこかで“金山町から材木を産直した家” の記事を読んだことがあり、それ以来、心密かに思いを寄せていた町の名が、唐突に彼の口から出るなんて!
 だって私が、金山町を念頭に
「遠方から木を安く手に入れる方法とかはどうですか…」
 って控えめに聞いたとき、
「いやあ、結局運送費を考えると、埼玉で買うのと大差なくなってしまいますよ。それなら、ガソリンまいて運んでくるより近くの木を使った方がいいでしょう」
 って言ってたじゃない!
「それが、随分太い材が手に入るらしいんですよ。同じ金額出すなら、太い材の方がぜーったいいいですからね」
 後で聞いた話によると宮越氏の太い材好きは業界では有名な話らしい。 
 でもなぜ金山町?どうやって見つけたの…?
「高橋棟梁の親戚がいるらしいんですよ。それで前々から木を使ってくれって頼まれていたらしいんです」
 へー!! なんという偶然。
「どうですかね?」
 って、もちろんOKに決まってます。
 そういうわけで、材木は金山町に決定~!
 そしたら今度は宮越氏、
「山形に高橋さんと木を見に行こうと思っているんですが、建て主さんも一緒に行けるといいんですけどねー。自分の家を建てる木をご本人の目で見てもらうのはいいと思いますよ……」
 そんなことを言い出しました。
 えー、それちょっと気が進まないなあ。
 どっかの雑誌かウエブサイトで見たことあるけど、建て主が山に連れられていって、まだ生えている木を、
「あなたの家はこの一帯の木で建てるんです!」
 かなんか言われて、一緒に来ている子どもたち共々、チェーンソーで樵体験させてもらったりして、
「いやあー、一生に一度のいい体験でした」
 とか上機嫌になっちゃう、あれでしょう?
 それで、お金払うしか能のない自分を忘れて、家作りに参加している気になって、納得して大金払っちゃうのよー。まあ、大金払うのは一緒だけど、そんなセレモニーなしでクールにいきたい、とナナメに構える私を尻目に夫は言いました。
「いいじゃん! 俺、行きたい!」

13、遠路はるばる北海道


 電話の向こうで、起きぬけの宮越氏が絶句しているのが目に見えるようでした。
「とにかく早めに連絡しないと」
 と、朝イチに宮越氏の自宅に電話を入れたあの日…。
 実は私たち、山形県金山町に行く前に、いきなり北海道へ行くことになってしまったのです。
 2003年4月、転勤族の夫に、突然、北海道勤務の辞令。
 まったく本当にうちの夫の予想は当たらない。
「もう地方勤務はあんまりないと思うよー」
 と言うから「そうなのかなあ」と信用して家作りを始めたら、地方どころか海峡渡っちゃうじゃないのさ!
 電話の向こうの宮越氏も、さすがに取り乱してる。
「ど、どうします? まだ、設計段階だからこのまま白紙に戻すという方法もありますけど……」
 そういわれても、土地のローンは始まってるし、設計料だってすでに一部払ってる。
 今考えれば、このとき家をやめていれば、気楽な人生だったかもしれない。
 使った設計料を諦めて、土地を転売して……。
 けれど、将来の数千万より目先の百万が気になって、「やめる」決断はできませんでした。
「いや、このまま進めてください。今はメールもあるし、格安航空券もあるから、なんとかなると思います」
 と夫は答えました。
 また数年後、東京近郊に異動する可能性を考えれば、北海道にいる間に建てておいてもらっておくというのも一案だし、戻って来れなければ、人に貸してローンの足しにするという方法もあるし……。
「そんなもったいないことできる? そんないい家を人に?」
 友人たちは口を揃えました。
 そうなんだよね。…そういえば、だからこそ中古住宅を探していたんだよなー。万が一転勤になったとき、人に貸しても惜しくないから……、ってそんなこと、今さら思い出しても遅いんだけど。
 よく、会社の人が、
「やー、勢いで家買っちゃったよ~」
 と話しているのを聞いていて、
「そんな何千万もする買物を、よくそんなに気軽に決めれるもんだ」
 と内心思っていたけれど、転勤族だとわかっていながら、伝統構法・木組み土壁の家を建てはじめちゃった自分達のほうがよっぽどまぬけ、トホホでございます。

 

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14、山形県金山町への旅/15、北海道を満喫して、伝統構法の必殺パターンから逃れた話/16、本当に、遠路はるばる北海道なのだ

14、金山町への旅

突然ですが、建て主(夫)です。
日頃お堅いビジネス文章しか書いていないので、正直申し上げてこの手の文章を書くのにはとってもネガティブなのですが、そこは典型的な恐妻家。妻の強引な振りを拒絶できる気力や勇気もないので、やむなく筆を執ることにしました。
さて、小生とても几帳面な性分ですので、「金山町への旅日記」を執筆するにあたり、過去のメールを掘り返してみることにしました。すると、この「サラリーマンでも建てられる伝統構法&土壁の家」の建築にとって、随分とシンボリックな時期だったんですね。この頃は。
そもそも本旅行の話が出だしたのは、おそらく妻の日記にもある2003年3月7日の「三人衆揃い踏み」(9.参照)の時だったのではないでしょうか?
その後、小生の突然の旭川への人事異動発表。赴任前に「ぜひ!」と設定した「伝統構法三人衆」との懇親会(2003年4月5日開催。小生にとっては、大工の高橋さんと左官の江原さんとの出会いはこのときが初めて)の場で、「金山町への旅」がほぼ内定。妻は最初から完全に斜に構え、一方の宮越さん・高橋さんはもうノリノリ。ここでもやむなく「きっと俺が行くことになるんだろうなぁ」と覚悟を決めていたような記憶があります。(決して「いいじゃん!俺、行きたい!」なんて言ってないと思うんだけど…)
では、なぜこの「金山町への旅」が、我家の建築にとってシンボリックな出来事だったのか?「金山町への旅」における数々のエピソードを交え、以下に解説していきましょう。(宮越さん、高橋さんにとっては随分と心外な内容かもしれませんが、決して悪気があってのことではないですよ。むしろ親愛・信頼があるからこそ書けるのです!どうかお許しくださいね。)

① 宮越さんと高橋さんは、期間管理意識が希薄!?
2003年3月7日の「三人衆揃い踏み」時における初提案後、本旅行の日程調整が具体化しだしたのは、メールの履歴を見る限り2003年5月7日。おそらく小生の督促により、ようやく事態が動き出したのではないかと記憶しています。
当初の工事工程表ではそろそろ工事契約に向けて詰めの段階の時期。でもその気配はまったくなく、加えて建て主自身が最果ての地「旭川」に転勤していることも相俟って、とても焦燥感に駆られていた頃でした。
その後、何回かメールや電話でのやり取りを経て、5月26日に旅行日程が決定(6月28日~29日)。でもやっぱり後が続かないんですよね、この方々。結局前日時点で待ち合わせ場所以外の詳細がほぼ何も決まらないまま、旅行当日を迎えることになってしまいました。(典型的なサラリーマンの小生にはまったく理解のできない展開。こんなことではいとも簡単に出世から取り残されてしまいます!?)
そもそもこの旅行の目的は、我家に使用される木が「どのようなところで育ち、そして伐採・乾燥され、建築現場にやってくるのか?」、その一連を「実際にこの目で確かめる!」というのが一義だったと思うのですが、私にはもう一つの大きな目的がありました。それは「我家は一体いつ建つのか?」ということを宮越さん・高橋さんに「直接会って確認」することでした。旅行初日夜の旅館での打ち合わせの場。早くもかなりの遅れを見せ始めている工程表に対して、今後のリスケ(日程再調整)を問い質したところ、意外や意外。わずか「1ヶ月強の遅れ」ということで回答が返ってきました。「なぁ~んだ。俺の思い過ごしだったわけね。夏休みの頃には工事契約取り交わし&地鎮祭かぁ。」そう思って安堵したのを記憶しています。(その後、実際に工事契約取り交わし&地鎮祭が執り行われたのは、何と7ヵ月後の2004年1月18日だったんだよね。ハハハ。)
そもそもこの工事、いつもこのような展開だったんです!「伝統構法&土壁の家」なんて建てようなもんなら、工期は長期化、予算も膨れ上がる!というような話は、噂やモノの本等で散々嫌と言うほど見聞していましたが、まさか自らも同じ轍を踏むとは。とにかくこちらがちょっと油断すると、音信不通。業を煮やして厳しめのメールを送信すると、やおら動き出す。「いい加減にしてくれ!」と何度も腹を立てたことがありますが、でも何だか許せちゃうんですよね。宮越さんと高橋さんって。きっとこれが親愛・信頼の証なんだと思います。

② 高橋さんは、期待を上回る豪快な人だった!?
高橋さんって、本当に感性の人なんです。おそらく旅行当日までに用意していたのは、初日の宿と2日目の金山町森林組合のアポのみ(ちなみに初日の宿の予約は旅行前日に取った模様)。多分、それ以外はまったくノーケアだったのではないかと思います。そして、カーナビが古いのか、金山町が田舎過ぎるのか、道に迷うこともしばしば。最後はすべて高橋さんの嗅覚で目的地に辿り着いていました。極めつけは初日の製材所訪問の際。高橋さんの嗅覚でようやく目的地あたりに到着したかな?と思ったその時、道端に立っていた通行人を見つけるやいなや車を停止。そして、何と当該製材所作製のものと思われるウチワをおもむろに取り出し、「ここに行きたいんだけど…」と指を指して聞いているではないですか!思わず「この人、豪快!」と感動してしまいました。(物怖じすることなく、淡々と山形弁で応対していた通行人にも敬服しましたが…)

③ 宮越さんと高橋さんは、想像以上にわがままな人たちだった!?
2日目は、金山町森林組合を訪問。ここではとっても親切な杉井さん(参事)に対応していただきましたが、その土場を見てビックリ!素人の小生が見ても、驚くほど「太い」「長い」「でかい」木がゴロゴロ。いわんや専門家の宮越さん・高橋さんに至っては、まさに目がハート。建て主そっちのけで子どものようにはしゃいで「太い」「長い」「でかい」木に見入っていました。「この人たち、やっぱりとってもわがままだわ。だって、人の金でこんなに楽しそうに仕事してるんだもん。」そう、痛感させられた金山町森林組合への訪問でした。その後、杉井さんのアテンドで100年杉の森を見学。旧い小学校跡地を改良したお蕎麦屋さんでとても美味な天ぷらそばとお酒をご馳走になり、最後は杉井さんの自宅で厚いおもてなし。一生忘れることのできない山形旅行となりました。
宮越さん、高橋さん、杉井さんに感謝!

(後日談)
 金山町からあがってきた見積もりを見て、宮越氏は超上機嫌。
「いやあ、想定していたよりも、価格が抑えられているんですよ。あれだけの材を、あの価格で入れてくれるのは嬉しいなあ。森林組合の杉井さんという方が頑張ってますからねー」
 この、木材費の嬉しい誤算が、建築費削減に寄与した力は少なくありません。
 お土産に、特産のそばや自家製のどぶろくを持たせてくださったり、上棟の際には、上棟には欠かせないお餅を持って駆けつけてくださったり。杉井さんにはその後もいろいろ、本当にお世話になりました。
 ナナメに構えて山形行かずにゴメンナサイ。(妻)

15、北海道を満喫して、伝統構法の必殺パターンから逃れた話

 一度は住みたかった北海道。
 家作りという観点からは青天の霹靂、不都合だらけの北海道行きだけれど、自然観察を趣味とする妻としては、願ってもない北海道暮らし。
 初めて見る真っ赤な大きな夕日。マンションの窓からはとんびが眺められ、徒歩5分の土手に登れば、360度、山々の大パノラマを楽しめる。 小学校には白樺林があり、歩道はとてつもなく広い。駅の裏の公園には二輪草が雑草のように咲き乱れ、アカゲラが、花見のためにしかれたブルーシートのすぐ上で鳴いている。東西南北、車で1時間も走れば、さまざまな大自然の懐へ。
 北海道はスポーツも盛ん。東京と違って、グランドや体育館を確保する苦労がほとんどない。週末になれば、市民は公共スポーツ施設で、思い思いのスポーツを楽しむ。スポーツはただでできるのが当たり前。たとえばテニスコートを取るために抽選したり、何千円も払ったりする必要なんて全然なくて、1時間たった300円のコートでも閑古鳥が鳴いています。
 こんなくらしを楽しまずにはいられようか。
 憧れの知床、知られざる尾岱沼、標高3000メートルの楽園・旭岳など、旅を楽しみ、また、新しい友人に誘われるまま、北海道名物ミニバレーに興じたり、子どもと一緒に野球の試合に出場したり。
 Eメール、電話、ファックスで、こまめに打ち合わせするはずが、そんなこんなで滞り勝ち。東京の「石神井の木の家チーム」も、建て主の北海道行きで気が抜けたのか、それに呼応して進行が徐々に遅れていってしまいました。
 しかし、北海道行きだけが遅延の理由ではなく、中にはやむをえない理由もあって、東京にいても遅れていたのは間違いありません。北海道生活が楽しいから、心穏やかでいられるけれど、これがもし、東京のマンションで、完成を今か今かと待っていたとしたら…。
 相当にイライラしていただろうなーと思います。
 伝統構法は工期が遅れる例がほとんどとはいえ、5月に実施設計を終了し、年内完成の予定が、いまだ着工もままならない。 次の年はすぐそこなのに…。
 ……北海道転勤は、建築の神様のはからいだったかもしれません。

16、本当に、遠路はるばる北海道なのだ

「山形に、乾燥させてる木の状態を見に行きたいんで、ついでに旭川にも寄りますよ」
 と、高橋棟梁から電話があったと夫は言いました。
「いや、寄るって言っても、山形からは遠いですよ.よく考えたほうが.…」
 と説得したけれど、
「やーだいじょうぶですよー」
 と、気にとめる様子もないという。
「大丈夫大丈夫、と本人が言うからさー、それ以上止めるわけにも行かないだろ? なんだか来てほしくないみたいに聞こえちゃうしさあ。でも高橋さん、本当に山形~旭川間の距離を把握しているのかなあ?」
 私も、その距離把握していないぞ。
「そんなに遠いの?」
「遠いさー。車で10時間くらいかかるぜ」
「えー!!」
 東京育ち同士だから、高橋棟梁の気持ち、私にはわかる。東京から見たら、山形も旭川も同じ北の都市。せっかく山形まで行くんなら足を伸ばして旭川に寄れるだろう、と考えているに違いない。10時間って言われたって、俄かには信じられないのだ。だって、東北と北海道、隣じゃん。
 そういうわけで、高橋棟梁、旭川登場をお待ちすることになりました。
 …しかし、待てど暮らせど棟梁は来ない。
 たしか電話をもらったのは、秋だったと思う。この素晴らしい北海道の紅葉を見せてあげたい、と思って待っていたから。
 しかし、実際高橋棟梁が現れたのは、季節が変わって、暮れも押し迫った12月29日! それも、年内に帰りたいという理由で、旭川滞在時間はなんと5時間。山形から10時間かけてきて、たった5時間過ごし、そして一日かけて東京へ帰るという、そういう無謀な、無茶な旅をしてしまう、宮大工・高橋義智! そういうキャラに私は弱いです(わが夫は絶対しないだろうな)。
 せめて北海道らしいことを満喫してもらおうと、名物ジンギスカンをみんなで食べに行きました。ラム肉をほおばりながら、彼はしみじみ言いました。
「いやあ、遠かったッスー」
「そりゃそうでしょう……」
 私たちもしみじみと答えるしかありませんでした。
 彼が旭川でしたことといえば、このジンギスカンと、私たちの自宅マンションでのお茶のみと、それから旭川名物怪しいリサイクル屋さん巡り。それだけ。三浦綾子記念館も、旭岳温泉も、石狩川さえ見ずに、彼は旭川を後にしたのでした。私のお薦め、怪しいリサイクル屋さん計3軒は、かなり彼の心をとらえたようなので、まあ、それはそれでよかったのかもしれませんが。
 5時ごろ旭川に到着し、
「それじゃあ!」
 と彼が車に飛び乗ったのは、確か夜10時ごろ。
 愛車ディフェンダーのバックシートは、エアマットが敷き詰められた快適ベッドだったので、「車中一泊・東京への旅」も安心して送り出したけど、実際は、青函連絡船にたどり着くまでに、3メートル先も見えない吹雪に遭い、死の恐怖を味わったそうな。
 …そして、その後の東京までの旅が、気が遠くなる程の長旅であったことは確かです。
 ほんとに無事に帰れてよかった。
 あ、そういえばあのとき交通費渡さなかったけど、建て主としてそれでよかったのかしら?
 渡すべきだったらゴメンネ高橋棟梁、私たち素人建て主なもんで……。
 

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17、とうとう「地鎮祭」の時が来た/18、「蔵」との出会い

17、とうとう「地鎮祭」の時が来た

 再び建て主(夫)です。
 待ちに待った「地鎮祭」。まさに「とうとう」という感じでした。
 思い起こせば、7ヶ月前(2003年6月)の「山形県金山町への旅」の際。
 建築当初は住宅ローン控除制度の適用時期等を考え、意地でも2003年12月までに竣工!とこだわっていた我々も、予想だにしなかった旭川転勤(これで住宅ローン控除制度はもうおしまい)、そして予想通り?の工期の遅れ等も相俟って、「いい加減スケジュールにこだわるのは諦めようか?」「こだわっても今や何のメリットもないもんね。」と気持ちに変化が現れていました。
 そして、山形での夜の打ち合わせの場。「もう慌てなくてもいいですよ。」「それよりも、ゆっくりと満足の行く家を造っていただいた方がいい。」「その方が次に東京へ転勤になった場合、より新築に近い状態で住めることになりますからね。」などと、今までとは打って変わって逆の提案をすることになりました。
 ところが!宮越さんと高橋さんの反応はまったくの予想外。
「いやぁ、大丈夫ですよ。」
「2003年8月上旬までには工事契約と地鎮祭をやりたいと思ってます。」
「そんなにゆっくりと構えていたら、我々も食べていけないですからね。」
「林さんの建築のためにいくつか仕事も断っているぐらいですから。ハハハ…」等々。
 「まぁあまり意味はないけど、気分的には予定通り進行した方がストレスもたまらずにいいか。」と半ばホッとしながら、帰路についた記憶があります。
 でも、「やっぱり!」なんですよね、この方々。結局工事契約取り交わし&地鎮祭が執り行われたのは、何と7ヵ月後(2004年1月)だったんです。
ということで、小生の度重なる督促にもまったく動じず、結局具体的に地鎮祭準備の緒についたのが12月中旬。まずは12/15に石神井氷川神社へ予約を行い、ようやく1/18(日)の実施が決定したのです。(本当に長い道のりだったなぁ。一応宮越さん・高橋さんの名誉のためにも申し上げておくと、木材の乾燥状態が想定していほど良くなかった等、遅延するのが不可避な事情もあったんですけどね。)
 その後、宮越さんと高橋さんのハードな見積もり折衝(この時ばかりは宮越さんの手綱さばきに感服いたしました。逆に高橋さんには随分と無理をさせてしまって申し訳なかったです)、人並みはずれた無謀とも言える高橋さんの来旭(本当に高橋さんのパワーには敬服しました。だって、ほとんど東京~旭川間日帰り旅行みたいなもんですよ!(何と片道約1200キロ!))、暗中模索の地鎮祭事前準備(大したアドバイスも頂戴できなかったので、しこしこHP検索で自力対応しました)等を経て、何とか当日に辿り着きました。
 当日は、まず午前中に工事契約(建築現場近くのファミレスで実施。らしいでしょ?)。続いてそのまま(13:00~)地鎮祭へ突入しました。
 参加者は、神主の他、宮越さん、高橋さん、江原さん、電気工事担当の頼本さん、家内のおふくろさん、小生ならびに3男(妻に子守りを頼まれ連れて行かされた)の計8名。
お供えものは、米(一掴み)、塩(一掴み)、魚(尾頭付きの鯛等一匹)、野菜(大根・人参等の根が付くものを2~3種類)、果物(みかん・リンゴ等を2~3種類)、水(コップに一杯)、酒(一升瓶)、それに初穂料(3万円程度)。(ほとんど家内のおふくろさんに事前準備してもらいました。スミマセン、本当に助かりました!)また、高橋さんには、竹(4本)、縄、砂(一袋)を用意していただきました。
 幸い天候に恵まれ、ビデオ撮影も交えながら滞りなく終了しましたが、「あ~、これでもう後戻りは利かないんだよねぇ」という半ば諦めのような心境と、一方で「こんな素晴らしい人たちに家を作ってもらえるんだ!」いう充実感の入り乱れる、何とも印象深い、記念に残る地鎮祭でした。
 ところで、実はこの日、またご両名は大いにわがまま振りを発揮してくれたんですよ。というのも、もともと地鎮祭終了後に予定されていた大泉学園の骨董屋さん倉庫探索の場。やっぱり出ました、建て主そっちのけ状態!無数に陳列されている掘り出し物を前に、もう目はハート!小生の厳しい督促がなければ、あやうく飛行機に乗り遅れてしまうところでした(すっかり寝入った3男を抱いて走り、本当に手に汗握っちゃいました)。
 頼みますよ!宮越さん・高橋さん!


18、「蔵」との出会い

 金山町に続いて、私の密かな夢を叶える時が再びやってきました。
 密かな夢とは、古建具を使うこと。
 とはいっても、可能な限り減らした我家の建具は、玄関、トイレなど合わせて5つだけ。
「これらをなんとか古建具で見つけられないかな」
 と言い出した私に、建築のプロたちはあまり乗り気でない様子。
「今ねー、古建具、流行っているから高いんですよねー」
「うちにも古民家の建具のストック、あるにはあるけど、使うとなると調整が必要だし、数が少ないんで気に入ったものが見つかるかどうか…」
 と口々に言う。
 ……やっぱりあきらめるべきなのかな。
 そう思った瞬間、私の脳裏にいつか見た風景がフラッシュバック。あれはたしか、幼稚園へ行くときに乗った、路線バスの窓から見たシーン。いつも眺めている風景、バス通り沿いに建つ倉庫のシャッター。それが、ある日半開きになっていて、奥に、おびただしい数の古建具が見える。いくつか取り出された粋な古建具の前で、おじさんがタバコをふかしている。いつもみていたシャッターの奥に隠れていたあまりに意外な展開に、私の目が釘付けになったあの日。
 あのおじさんは、多分、バス通りをはさんだ向かい側にある骨董品屋の主。あの倉庫は骨董品屋の古建具倉庫ではないか、と、私は密かな推理をしていたものでした。
 あそこなら気に入った建具がリーズナブルな値段で手に入るかもしれない。けれど、名前も電話番号もわかりません。直接あの場所に行くしかアクセスの方法はないのです。しかし、私はもはや北海道…。
 ところが。
 私は建築の神さまありがとうございます!
 不思議なことにそんな時、ちょうど仕事で上京する話がきたのです。
 しかも、古建具利用案に気の進まない返事をしていた宮越氏が、この不確かで頼りない情報に異常な興味を示している。
「それじゃあその上京時に、高橋さんと三人でこの店に直接行ってみましょう」
 となぜかノリノリ。
 私が、
「ジョイフルホンダに行ってみたくないですか」
 と誘った時はけんもほろろだったのに。
 ともあれ、宮越氏の嗅覚には脱帽です。だって、この訪問、結果的には大成功だったのです。
 私の上京を待てずに、夫の上京時にすでに下見をしていたお二人の様子は前章のとおり。私と行く時は、店の場所はわかっているから、とアポ無しで言ったら、何と留守!
 結局、宮越さんや高橋棟梁に何度もその場に足を運んでもらい、なんとか骨董屋の主をつかまえ、私が帰旭する日にやっと、倉庫を見せてもらう約束を取り付けることができました。そして約束の日、満を持して、宮越氏、高橋棟梁と古民家工房の風祭さん、私の4人はその場所へ向かいました。
 倉庫を見せてもらってびっくり。
 おびただしい数の古建具が、所狭しと詰まってる。板戸、仕切り戸、蔵戸…。照明器具や欄間もある。
 入ったとたんに高橋棟梁なんか、石神井の木の家の建具選びなんてそっちのけ。宮大工の目で商品を物色、掘り出し物を見つけてはほくそえんでいる。
「あ、これ事務所のドアにしよう」
「わ、備州があるよ」
 と、すっかり自分のお買物に来ました状態。
 宮越氏は宮越氏で、この店のリーズナブルな価格設定に、
「これで建具代抑えられるかも」
 と、ニンマリしてる。
 素人の私は数に圧倒されて、どう選んでいいのかわかりましぇ-ん状態。
 それでも店のご主人や宮越氏の手を借りて、そして高橋棟梁をプライベートなお買物から石神井の木の家の仕事に引き戻し、なんとか全ての建具を選んだのでした。
 玄関ドアなんて、アルミドア以下の値段で欅の蔵戸よ!
 店の名は「蔵」。恐るべし、「蔵」。
 場所と電話番号は……、ここでは内緒にしておこう。

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19、刻みについて/20、基礎工事開始につき、下田組登場!

19、刻みについて

 最近じゃ、構造材の木は鉄のプレートで止めていくから、昔見たような、複雑なパズルのような材木の「刻み」は、あまり必要ないそうで、あったとしても、プレカット工場というところで、機械でがーっと加工しちゃうんだそうです。「刻み」というより「加工」って感じだよね、本当に。
「プレカットって言ったって、今は性能いいから、馬鹿にできないですよ」
 って宮越氏は言うけど、人情として、大工の「刻み」のほうがプレカット工場の「加工」よりいいよー。だって、なんか粋じゃない。
 予算の関係で、プレカットも考えましょう。なんて話もあった気がするけど、結局、おかげさまで、我家はばっちり、「刻んで」もらうことができました。
 また、高橋棟梁という人が、普通より一段階複雑な「刻み」をする人だそう。宮越氏の設計も半端じゃないから、結局、刻みも予定より結構遅れたように聞いています。北海道にいるから、もういくら遅れても気にならないけどね。
 しかし、その仕上がりはお見事のひとこと。こんなにややこしく、よくぞ刻んだこと、という感じです。
 建築のプロたちは、現場の職人さん、見学者ともども、刻まれた材木をみて、「うむうむ」うなっていました。これが組み合わさって、家の骨組みになってゆくのね…。
 中でも、古民家工房の職人さんをノイローゼ寸前に陥れたというのが、二階梁上の「地獄格子」。ほんとにあれ、どうやって作ったんだろう。だって、例えて言えば、麦藁帽子の網目のようなものを材木で作ってあるのよ! 藁は柔らかいから編めるけど、あの堅い材木で、どうやって格子を編んだのか…?
「それは企業秘密です」
 と、高橋棟梁はにやっと笑ったのだった。

20、基礎工事開始につき、下田組登場!

 槌打ちの音、鳶の頭、掛け矢……。
  いつかどこかで、そんな言葉を聞いたことはあった。
 でも、いまどきの家作りをみていると、鳶さんは基礎のコンクリートと格闘する人で、あとは大工さんが大きなホッチキスみたいなので、木を組み立てて止めていく。なんで基礎工事の担当者が「鳶職」と呼ばれるのだろう?そんな疑問を持っていた私だったんですが。
 鳶の頭、下田さん率いる下田組の活躍をみて、その謎がやっと解けました。
 基礎工事は、本来「鳶」さんたちにとって、序章のようなもので、そのあと土台敷きを経て、骨組みの木を屋根まで立ち上げる離れ業、「建て方」こそ「鳶」の名にふさわしい仕事。
 すっかり簡略化された現代の木造では、たっぷりと時間をかけた「建て方」にお目にかかれないため、「鳶」=基礎工事人になってしまっただけだったのです。
 掛け矢と呼ばれる大きな木槌を片手に、ひょい、ひょい、っと、大まかに組まれた材木の上を渡り歩き、あっちで叩き、こっちで叩きして、徐々に全体を占めて木組みを固めていく。叩かれる度に、カーン、カーンと心地よい音が町中に響く。なんだか、とても懐かしい響き。
 昔はこの音を聞いて、町の人たちは、
「ああ、どこかで普請が始まったな」
 って思ったりしてたんでしょうね…。
 しかし、伝統構法・木組みの家はすごいです。
 本当に、釘はまったく使わない。土台にボルトが少しあるだけ。あとは、大工と鳶が力を合わせて、パズルのように切り込まれた材木を組み合わせ、組み合わせ、建ち上げてゆく。
 圧巻は最終段階。
 屋根のてっぺんで繰り広げられる離れ業。
 ひょいっと気軽に、一番上にある叩くべき材木に乗って、掛け矢を打ち込む。
 打ち込むたびに、鳶頭の体が揺れる。
 二階の、そのまた上の屋根のてっぺんである。下からずっと見上げると、鳶の頭の向こうには、空しか見えない。
 恐るべし、「鳶」。
 その名にふさわしい活躍、とくと見せてもらいました。
 この「建て方」を見に来た「木組みの家」系の大御所建築士さんは、
「こりゃ、木組みの家のオールスターチームですよ」
 と感嘆していましたよ。
 都合3日かかった、「建て方」。
 私と夫は、夏休みを利用して家族で上京、その様子をずっと見学し続けてしまいました(子どもは実家で遊んでたけど)。
 しかし当初は、上棟式にだけ出席するくらいの気持ちだったんです。
 でも、
「建て方はぜひ見て下さいよ」
「あれは見ものですよ」
 高橋棟梁と宮越氏が口々に言うので、
「まあ、ちょっとだけ見るかなあ」
 と思って行ってみただけなんですが。
 結果。
 朝から夕刻まで、まったく目を離せませんでした。炎天下の中、ずーっと、ずーっと、何時間も立ったまま、結局、三日間見つめ続けてしまいました。
 こんな素晴らしい伝統を、なんで、日本人は捨ててしまったのだろう。


 
 

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21、祝・上棟

21、祝・上棟

 この「建て方」が終わり、家の骨組みができることを、「上棟」というそうです。「上棟セット」なるものが、大工さん御用達の金物屋さんに売っているそうで、それを買ってきて屋根の上に飾り、準備完了。
 ここで、久々、金山町森林組合の杉井さん登場。東京生まれの現代人には馴染みがないけれど、杉井さんにしてみれば、上棟と言えば「餅まき」。他の仕事もあったとはいえ、わざわざ山形から餅をしつらえて上棟式に駆けつけてくださいました。
 左官の江原さんも一升瓶を下げて登場。彼はまだ30代なのに、「昔からの作法」に誰よりもこだわっています。
 頂いたお酒とお餅は、綺麗に並べられ、上棟式の始まり。
 建築士、鳶、大工、左官、それに建て主とその縁者。役者がそろって、まずは、建て主、鳶頭、棟梁で、建物の四隅に塩と餅をまつり、工事の無事を祈念します。
 そして一連の挨拶を経て、餅まき、酒盛り、というのが、多分上棟式の手順なんでしょうけど、…ごめん、ここ、東京の住宅地なもので、そういう「しきたり」に慣れていないのです。現場では、その後記念写真を撮ってハイ、終わり。
 実際には、餅は二階からまかれずに、ご近所にそれぞれお配りし、酒盛りは場所をかえて、私たちが東京に住んでいた頃によく行っていた、沖縄料理屋さん「みさき」で行いました。
 沖縄もずく、ジーマミ豆腐、ゴーヤチャンプルー、中身汁…。
 ずらっと並んだ沖縄料理に、ビールから泡盛まで飲み放題。建て主、ちょっと頑張りました。
 照れ屋の職人さんたちだから、最初は地味に始まりましたが、だんだん宴も盛り上がり…。
 自己紹介を兼ねたコメントの中で、かかわった職人さんたちがみんな、
「こういう仕事ができて嬉しい」
「こういう仕事がずっとやりたかった」
 と言ってくださる。
 ふと、友人の夫のことを思い出した。ログビルダーに憧れ、脱サラして大工になったものの、結局、仕事は建売住宅の下請けが主。化学製品を多用するため、掌が荒れに荒れてしまったと言っていた。
 …建売は一番売れるからね。 神主さん呼んで地鎮祭する必要もないし、ご近所に挨拶回りすることもない。上棟式も、打ち合わせも、何もかも必要ない。その上値段が安いときてる。
 「せめて、こういう家作りを選択の範囲に入れてほしいんですけどね」
 と、宮越氏も溜息をついていた。
 確かにね…。こういう家を建てる人が増えれば、確実に幸せな人が増えるよね。建てるほうも、住むほうも、心地よい家だから…。
 ねえ、いくら安いといったって、大金だよ。高い買物だよ、家なんて。
 手間と、暇と、少し余計なお金を惜しまなければ、何倍も素敵な買物ができるのに……。

 


 

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22、夜はまだまだ続く

22、夜はまだまだ続く

 もう店を出ようという頃に、あのサンバダンサー・アヤゾーがやってきた。地下鉄工事の手伝いが長引いて、上棟式に来れなくなった電気屋のマサカズ君に代わって、その妻が駆けつけてくれたのだ。
 こんな美人が現れたのに、もうお開きなんて。
 そこで、
「俺んち来いよ!」
 と言ってくれたのが、鳶の頭の下田さん。「鳶」=元ツッパリというイメージがありますが、下田さんは大卒エリート鳶さんだそうです。実家の後を継ぐために、大学を出てからこの世界に入った変り種。実家は、この近くの大地主らしい。
 千葉に帰らなければいけない古民家工房チームと別れて、行ける人だけで下田家に御世話になることに。
 実家の場所を聞いてびっくり。
 私の実家の近くで、つまり、小学校の先輩後輩の間柄でした!
 というわけで、下田家に行ったのは、宮越氏、左官の江原さん、今回は一大工として参加している石川棟梁、アヤゾー、私の5人だったっけな。近所のコンビニで下田さんとアヤゾーと私の3人で、
「愛人、2号でース」
「3号でース」
 なんて悪乗りしてたのを覚えてる。
 宮越氏にも、
「鳶の頭の家にまで押しかける建て主は見たことないなー」
 と言われたなー。(すいません)
 江原さんは、
「土壁の家の電気工事はマジ大変ですよー」
 とアヤゾーを脅していたなー。
 石川棟梁と下田の頭と宮越氏は、お互いの仕事のレベルの高さを誉めあっていたなー。
 それから、下田家は、敷地が車何十台も停めれそうなほどでかくて、玄関だけで6畳はあったぞ。古い造りの土壁の家を、頭は、たいそう自慢げにしていたなー。
 ちぇ、「私たちの家なんかどうせ30坪そこそこだいっ」とちょっと悲しく思ったりしたけど、
 ああ、本当に楽しい夜だったなー。

 

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23、北海道にて

 短い夏の休暇も終わり、北海道に戻った建て主一家。しかし、建築の進行の様子は、手に取るようにわかります。強い味方は、言わずと知れたインターネット。木住研、古民家工房それぞれのオフィシャルサイトが、石神井の木の家の建築状況を写真つきでレポートしてくれているので、それを開けばいいというわけ。夫なんか、そのために毎晩会社から帰ったら、必ずPC立ち上げています。
 こんな手法の家作り、ちょっと前だったら考えられませんでしたよね。実際、木住研も古民家工房も、きちんとしたオフィシャルサイトが整ったのは、我家の計画と同時進行くらいのタイミングでしたから。今では、普段の連絡も、建築関係者のMLを作ってもらって、それを利用しています。
 ハウスメーカー以下の価格での伝統構法の家も初めてなら、こんなITを使った遠隔ネットワークも初めてのケースでは? と、関係者一同自負しております。
 さて、丁寧なレポートは、我家の建築は着々と進んでいることを逐一報告してくれます。
 写真つきの詳しい解説は、それぞれのサイト(木住研  http://homepage3.nifty.com/mjk463/、 古民家工房    http://www.kominkakoubou.com/top1.htm)を見ていただきたいのですが、ここでも少し説明しますね。 
 上棟が終わると、下田組の登場はなくなるんですね。ここからは、古民家工房が屋根板をはり、階段を付け、その他内外の木工事に携わるほか、屋根屋さんが登場し、瓦を葺きます。
 この瓦というのが、なんと「手焼き」だそうで葺くと全体に適度なムラがある味わい深いものとのこと。宮越さん、高橋棟梁、そして左官の江原さんのお気に入り。最近では人気が出てしまい、私たちの後は、受注してもかなり先まで納品してもらえないとか。またまた建築の神様に守られてしまいました。
 上棟が終わり、屋根が葺き終わると、次は壁です。 昔どおりに、竹で小舞を書いて、そこに土を塗りつけてゆくのです。
 壁にまつわるあれこれは、この次の次に、また夫に登場してもらうので、ここではこれまでにしておきます。
 
 

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24、ワークショップ?!

 ある日、いつものようにPCを立ち上げ、古民家工房のサイトにアクセスしてみるとこんな文字が…。
「石神井の木の家 土壁ワークショップ 参加者募集!」
 は? ワークショップ? 
 私たちが北海道に引っ越すことが決まっていなかった頃に、「土壁は、私の友達を集めてみんなで塗りたいなあ」なんて話をチラッとはしていたけど、今となってはその話も立ち消えているし、いったい、このワークショップっていうのはなんなんだべか…。そう思っていた私の心が遠く通じたのか、古民家工房の風祭さんからMLにこんなメールが…。

「(中略)
 ちなみに、古民家工房のHPでも予告だけさせていた、
ワークショップを9/29(日)に行わせて頂きたいと考えています。

ワークショップの内容としては、
実際に木組みの家の空間を体験していただくと共に、
現場にて30cm×40cmの枠(こちらで用意したもの)
の中に小舞を掻き、そして荒壁付けまでを、江原さんの
指導の下行っていただく予定です。
中塗り・仕上げは、また後日に再び集まってもらい、
行う予定です。

ご予定があえば、林さんにも参加して頂いて楽しんで
いただければいいなぁ、と勝手に思っています。」

って、そうなんだー、知らなかったなー。
 このとき、
「建て主の許可も取らないで、勝手にワークショップなんか企画して! ぷんぷん!」
 という気分には、なぜか不思議になりませんでした。
 そういう人間関係ができているということなのか、単に、高橋棟梁の人徳なのか…。
 木住研のサイトのほうが、こまめに丁寧に更新されるので、建築の進行状況をチェックするには、つい木住研サイトだけを覗きがちなのですが、 というわけで、古民家工房のサイトからも目が離せません。

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25、土壁は「どかべ」ではなく「つちかべ」です

 三度、建て主(夫)です。

 「省エネ住宅」「高気密高断熱住宅」「健康住宅」「耐震・免震住宅」…。そんなハイスペック住宅の開発を競う現在の潮流へのアンチテーゼとして、「伝統構法&土壁」の家を目指した我々。中でも小生は、特に「ピュア土壁」(竹小舞下地の純粋な土壁)に対して、特別な思いを抱いていました。
というのも、「ピュア土壁」に対する世間一般のイメージは以下のとおり。

① 施工可能な職人が稀少である。したがって、コストも極めて高い。
② 非常に手間がかかる。(工期が長引く)
③ 実態はさておき、建築基準法上は、相対的に耐力が低い。(壁倍率が0.5。一般的な「筋違い」では2~5と言われている)
④ 経年変化に伴い、柱と土壁の間に隙間ができ、寒くて雨漏りがする。等々

 さすがの我等が宮越さんも、当初はピュア土壁の素晴らしさを認めながらも、坪70万円台という大命題の前では、コスト面等から断念せざるを得ないかも?とのスタンスでした。(当初の宮越さんの構想は、ラスボード等の構造用合板をベースに、土壁塗り仕上げをするというもの)
 そうなると、生来自虐的(いわゆるマゾ)な小生。「できない」「無理だ」と言われると、意地でも「ピュア土壁」を実現したいと思ってしまうのが悲しい性。のらりくらりと非実現性を醸し出す宮越さんに対し、同じく真綿で首を締め付けるように、成就に向けた意思表示を発し続けたのでした。
 そんな折、登場したのがシャガンこと江原さん。新進気鋭の左官で、とにかく「土壁」に対する自信と思いが凄まじい。「土壁」が絡めば、まさに全国各地から引っ張りだこ。群馬に家族を残しながら、「土壁」を求めてジプシーのごとく、車中泊で全国を行脚する左官のプロフェッショナルです。
 江原さんの登場を機に、事態は急進展。今までののらりくらりの交渉はどこへ行ってしまったのやらで、アレヨアレヨという間に外壁どころか内壁も含めて、オールピュア土壁で方針が固まってしまったのです。
 「ポイントは何か」ですって?それは、以下のとおり。まさに、江原さんのコスト面での努力と研究熱心さ、そしてゴーゲッターな小生の性格が奏功したのでした。

① コスト面

とにかく江原さんが努力してくれました。江原さんと小生の「ピュア土壁」に対する思い・こだわりが絶妙なハーモニーを奏でて、まさにコスト面で大きなシナジー効果を発揮したのです。(もちろん、宮越さんと高橋さんの後押しがあってのことですが…)

② 工期面

そもそも建て主が北海道に転勤の身。いつ住めるかもわからないのに、この問題は全く関係ないですよねェ(-_-;)
  
③ 耐力面

建築基準法なんてくそ食らえ。そもそも土壁は、その仕様・施工技術等によっていくらでも耐力が増すもの。研究熱心な江原さんがそれを完璧に実証してくれました。
(つい最近、土壁が法律的な耐震基準だか防火基準だかを満たすという見解が出て、法的な状況がクリアできた、と宮越さんに教わったと記憶しています。またまたラッキーなこと。妻・追記)

④ 経年変化の問題

寒くて雨漏りがする?ただでさえ湿気が多くて蒸し暑く、冬もさして寒くもない日本。
暑い時にはスカスカの家でとっても涼しく、快適! 寒い時には薪ストーブに火をくべれば良いじゃないですか!それがまさに日本の家です!ちなみに、土壁の家は一度暖めれば、保温・保湿能力に極めて優れており、すこぶる快適だとか。

最後に。小生は「土壁」のことを、ずーっと「どかべ」と呼んでいましたが、ある時江原さんが一言。
「『どかべ』じゃなくて『つちかべ』って呼んでもらえます?」
 「何故?」って尋ねたら、
「『どかべ』じゃ野暮すぎるでしょ?『つちかべ』の方が洗練されていて、自分の主義・主張・こだわりに合っているんですよ。」
 だって。さすがプロ!参りました!

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26、プチ土壁塗隊の記録

 土壁は、小舞をかいたところに、荒壁、中塗、漆喰仕上げと、大まかに言って3回重ね塗りするそうです。
 このうち荒壁は素人でもなんとかできるということだったので、もし東京にいたら、友人を引き連れて、みんなで「荒壁塗隊」を組織し、自分や友人の子ども達にも「左官体験」させてやり…と計画していました。しかし、いきなりの北海道行きでこの企画は幻に。
 それでも未練がましく「私は参加できないけど、誰か塗らな~い?」と、親しい友人何人かに聞いてみると、やる気はあっても時間がない、時間があってもやる気がないという人ばかり。結局、設計担当・宮越氏と私の友人一人(子連れ)が、たったふたりのプチ土壁塗隊を組織、荒壁塗りに挑戦することになりました。
 江原さんの指導のもと、おふたりが奮闘する様子は、ホームページを通じて私たちにも手に取るよう。
 土壁の家を何軒も造ってきたとはいえ、専ら頭脳労働担当の宮越氏は、これが初塗りとか。
「いやあ、結構大変ですよー.僕は壁の半分ぐらいでリタイアしちゃった。だけど、お友だちはうまかったですよ。壁1面か2面くらい塗ったんじゃないかなあ。流石ですよ。やっぱり、あれはドイツの国民性でしょうね」
 と、後日の打ち合わせの際に感慨深く語っていました。それがドイツの国民性というのは早計な気もするが、確かに私は彼女にとても期待していたのよ。
 そうなんです。友人、大西マルティナさんは実はドイツ人。現在は東京芸術大学で教鞭をとるご主人がドイツ留学中に出逢い、現地で結婚、彼の帰国とともに日本に渡ってきた人。ご本人も、ドイツの美術大学で油絵科を卒業しているし、普段から器用なところを知っていたから、絶対土壁塗り、うまいだろうと思っていた。日本の伝統も紹介したかったし、私は、彼女にぜひ土壁塗りをしてもらいたかったのだ。
 私の読みは大当たり。
 お礼の電話を入れたら、
「すごく楽しかった。疲れるどころか、パワーがわいてくる感じ。今度は子ども抜きでもう一回塗りたい」
 と言っていたので、早速、江原さんに知らせました。

 余談ですが、なぜ、そんな人と私が知り合いかといえば、実はお母さん仲間なのです。
 まず、私に現在は2児の母だが、結婚前はダンサーで、日本で稼いでは世界旅行を繰り返していたという友人がいて、彼女が得意の英語で、児童館で子どもを遊ばせていたマルティナさんに話し掛けたのがきっかけ。その後、彼女の家のホームパーティで、私ははじめてマルティナさんと出会いました。マルティナさんの母国語はドイツ語だし、私はブロークンだけれど、それでもなんとか、英語でコミュニケーションでき、しかも子どもの話題以外の社会問題に関する議論・人生論・文化論等を好むという共通点があったので、いつしかその3人組で行動するようになったというわけ。
 東京在住の頃は、それぞれの子どもは1~5歳くらい。よく石神井公園のベンチにテーブルクロスをかけて、傍らで子供たちが遊ぶのを眺めながら、お茶や、時にはワインを飲みながら、語り合ったものでした。
 完成の暁には、また、このメンバーで私の家に集まりたいな。
 

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27、煤竹塗り

 月に一度くらいの割合で、妻が上京して行われている現場打ち合わせ。
 高橋棟梁が言う。
「玄関建具どうします? 壁は無塗装でもいいけど、建具はなんか塗ったほうがいいですよ」
「そうなんだよねー」
 宮越さんも同意する。
 そうなのだ、建て主東京在住で建築が進むという段取りでいた頃は、荒壁も塗装も建て主参加で人件費を浮かそうねーと話していたのだった。塗装は塗らない場所のマスキングなどの手間をしっかりやれば、素人でも何とかできるという工程。そこで建て主が肉体労働を提供してなんとかコストダウンというわけ。だか、今は私は北海道在住の身。腰を据えて塗装をすることはできない。
 高橋棟梁が言った。
「今度事務所用に、仕事場の近くに一軒家借りるんで、そこに泊まってもらって塗ったらどうですかね…」
 おお、それは楽しそう。
「漆塗ったら、欅はいい色になりますよ…」
 う、漆かい!?
「大丈夫大丈夫。ちょっと別件でやったことあるけどいいですよ…うちの女の子はダメだったけど」
 ……。
 まあ、でもやってみちゃおうかな。いつもお金出すばっかりが能じゃないもんね。
 というわけで、その次の月は、私は古民家工房に宿泊して玄関用の蔵戸を塗るということになりました。
 ところが。
 行ってみたら、私を待っていたのは、なぜか蔵戸ではなく煤竹塗り。
「イヤア、やっぱり蔵戸は一日じゃ仕上げるのは無理だと思うんで、今日のところは煤竹を塗ってもらって練習ということで」
「えーそうなんだ…」
 張り切っていた私はちょっとがっかり。まあ、しょうがないか。
 そう、3人の子を北海道に置いてきている私には長期の滞在は不可能。しかし漆は乾いては塗り乾いては塗りというのを繰り返さなければならないので、蔵戸のような大きいものだと、せいぜい3日はほしいとのこと。まあここは煤竹塗るしかない。
 煤竹というのは古民家を解体したときに出る屋根材で、いろりの煤を何十年何百年(?)も受けていた古竹。高橋棟梁が独自のルートで仕入れて、倉庫に保管している。これを洗って漆で塗ると、素晴らしい色の古材になるという。
 私は、古民家工房の風祭さんと2人でこの煤竹と一日格闘、素晴らしい色の品々を何本も生み出したのであった。このご褒美に、高橋棟梁は我が家に煤竹をプレゼントしてくださるという。建具をいれないところは、この煤竹を渡したところに布をつるして目隠しや間仕切りになる予定だ。
 その夜、私は一宿一飯の恩義に、タイ料理をご馳走し、古民家工房が新しく借りた一軒家に泊めて頂いた。中野に自宅がある高橋棟梁も、忙しくて帰れず同じ家に泊まったのだが、暖房の効く部屋が一つしかない。風祭さんは自分のアパートに帰ったので、私と棟梁は、2人きりで枕を並べて寝る事になった。しかし……私が期待したようなことは、何一つ起こらなかった。
残念!


(関係者の皆さんへ この章は、わかりやすくするために若干フィクションはいってます)

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28、ちょっとへこんでます

 最近ちょっとへこんでます。
 建築が進みとうとう最終段階に入ってきました。ということは支払いも進み、貯金がそこをつきつつあるということ。その上、なんと夫から来年給料が下がるという知らせ。そうなると、毎日の暮らしも以前のように気軽に買ったり行ったりができなくなってきます。スーパーでの日常の買物でさえちょっとドキドキ。「今月これで足りるかしら?」なんてね。おいおい、それが普通だろうというご意見もあると思いますが、我が家の場合、伝統構法の家を建てるなんて大それたことをしなければ、けっこう余裕のある生活だったんですよね。なにしろ夫は趣味が残務整理という人。妻は化粧も洋服もあまり興味がない。子どもは3人揃いも揃って公立育ち。その分、高級食材も平気で買えたし旅行にもよく行っていた。ああ、あの頃が懐かしい。今ではローンが重くのしかかります。
 やっぱり、伝統構法の家を建てるなんてお大尽のすること。しがないサラリーマンには荷が重すぎたのではないかい?
  竣工を前に本当はワクワク気分のはずなのに、なんだか、身の程しらずな大それた事をしてしまったような気がして浮き足立っています。
 あーあ、なんでこんなことになっちゃったのかしら。子どもも産まずに気軽な社宅暮らしで一生を終えるはずが、子どもは3人も産んじゃったし、家なんて筋金入りのを建てちゃった。本当に人生って自分の思い通りには行かないものですね。
 竣工前の憂鬱の理由がもう一つ。家が完成するということは、そのあと引っ越すかどうかという重大な結論を迫られるということ。今、私たちは北海道に住んでいるけれど、住宅ローン減税の恩恵にあずかるためには、勤務がある夫を残して、家族は東京に戻り、新築の家に住まなくてはならない。そうなると、母子はこの住みやすい北海道を去らなくてはならないし、夫ははじめての単身赴任。逆に、家をそのままにして北海道暮らしを続けるとなれば、住宅ローン減税はパーになる。思い切って人に貸してローンに充てれば、と私がいうと、あの家は人に貸すにはあまりにももったいなさ過ぎる、と夫がいい、結局2人で考え込むという毎日です。
 今後夫が首尾よく東京に転勤になるという保障もないし…。
 あーあ、なんで転勤族なのに伝統構法の家なんか建てちゃったのかしら…バカバカバカ~。
 

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29、バカなことをする人になりたい

 某経済評論家が、同じような伝統構法の家を建てた際、彼等はなんと広葉樹で建てたというイレギュラーもあって完成まで5年近く費やしたという。もちろん住宅ローン減税はパー。それどころか、建築費もそれなりに膨れたという…。
「まあ、そんなバカなことにはなるまい」
と思っていたけれど、私たちも結局似たようなもの。
 さっきまで、「あたしったらダサい~」
と思っていたのだけれど。ふと気がつきました。
 バカなことをするやつと、バカなことをしないお利口さんと、どっちが愛すべき人物か?
 決してバカなことをするやつになんかならないぞ、損だもん、と心に決めていた私、だけど、周りにバカなことをするやつとしないやつがいたら、絶対的にバカなことをするやつのほうが好きだ。ではなぜ自分がバカなことをするやつになることを避けるのか?
 考えてみると、私は小さい頃から、自分の損にならないように、できれば得をするように立ち回ることに腐心して来たような気がする。その結果、得ばかりしてきたかといえば、そんなことは決してなく。結局人生そんなもんなんだよねー。私ったら今までなにやってたんだろうって思うけど、多分、私みたいな人は多数派なのではないでしょうか。
 しかし、そんな私でも、たまに損得抜きで何かをすることがあります。そんなときには必ず、いつもたくさん、目に見えない財産が培われてきたような。たとえば、知的障害の人と一緒に遊ぶボランティアをしたことで得た見えない『学び』は、私の人生にとって大きな大きな財産ですし…。
 話がそれました。
 建築の話に戻りましょう。
 考えてもみたまえ。そもそも、この家のスタッフは、建て主を含め、楽して儲かる主流の家作りに背を向けて、自分の信じる日本の民家の道をゆく、ある意味『バカ』(失礼)の集まりではないか?
 今さらバカなことをしたと後悔し、減税がーと騒いでも遅い、とっくに、後の祭りなのだ。
 そう考えたらすっきりさっぱりしてきた。
 夫曰く
「後は、清々粛々と建築代金と土地の借金を払っていくしかないのだ」
 合掌。
 

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30、いいことばかりはありゃしない

 このタイトルをみて、「おお」と感じた人は仲間です。そう、RCサクセションの往年の名曲からタイトル拝借しました。ことあるごとに建築の神様から微笑まれることばかりだったこの石神井の木の家ですが、本日、思わぬところからクレームが。
 建築も終わりに差し掛かり、養生シートがはずされて全容が明らかになったと同時に、裏にある2件のお宅から、面する窓が多すぎて、お互いに丸見えではないかというクレームが。狭い敷地に目一杯建てる東京ならではのことですね。我が家が建つ前のこの土地は屋敷森。裏のお宅は毎日木々をみて暮らしてらっしゃったはず。それがいきなり家が建ち、しかも窓から見られそう。
 お気持ちを察すれば無理のない話で。自分があまりそういうことに無頓着なため、配慮に欠けていたようです。
 早速、宮越氏、高橋棟梁に対応していただき、それぞれの窓に目隠しその他をつけることに。仕方のないこととは言え、これで、また予定より建築費が加算されてしまいます。
 しかし我ながらころんでもただでは起きないなあと思うのですが、こんなアイデア思いついちゃった。
 目隠しで作る柵と窓の間を広く取って、そこに植木鉢を置いたらどうかしらって。
 裏のお宅の植木を借景にさせていただきたかったけれど、そういうわけにはいかない以上、自前で窓からの眺めを作っちゃおうというわけ。
 なんのハーブを植えようかな。

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31、完成まで秒読みだ

 とうとう、とうとう、恐れていた完成の日が近づいてきました。
 北海道で毎日毎日子どもの世話に追われる日々を過ごしていると、我家が完成するというのが正直遠い雲の向こうの話のような気もしてきます。しかし、実際行ってみると、ほんとに出来上がっているのですね…これが…。
 7月のとある日に、久々に上京が決まり、高橋さん、宮越さんと現地で打ち合わせです。
 東京の夏を感じながら、最寄駅から現地に向けて歩く。北海道よりもちろん空気も汚いし湿気もあるし、けして気分はよくないのだけれど、不思議ですね、生まれ育った街だから、なんともいえずホッとする。この、住宅ばかりの町並みをずっと眺めて育ってきた私です。
 木と土でできた家に入ると、暑い日ざしが嘘のようにひんやりします。古材の建具は見違えるようになって各所に納まり、キッチンもオールステンレスに木のシンプルな棚で、システムキッチンとは一線を画します。
 居室の杉の床は柔らかく、その上で紙にボールペンで書いたら、その筆圧で床にあとがついちゃった。自分の家なのに、思わず宮越さんと高橋さんに「ゴメンナサイ!」
 しかし、この家、私には至極普通に見えるのだけれど、他人が見たら奇妙な家なんだろうな…。畳も壁もないのだから。本当にシンプル。
 うーん、でも、正直なことを言わしてもらえば、私のイメージしていた、昔の学校のような、あるいは大正から昭和初期の日本人が一生懸命洋風を真似て建てたというイメージ、例えて言えば東京小金井公園の江戸建物園の大川邸や前川邸、あるいは札幌芸術の森の有島武郎邸.…と言うよりも、要所要所がちょっと和風になっちゃったかなー。建築士も棟梁も和好きだからなーやっぱり。
 筋金入りの素晴らしい家を建ててもらいながら、贅沢言ってます。すいません。
 どんな具合になったのか、完成したものを見たい人は、木住研か古民家工房のホームページから申し込んでください。
 ところで。
 打ち合わせの行き違いでついてなかったインターフォンをつけてもらうために、電気屋さんの正和君に連絡しているんだけれど、連絡が取れません。
 友人にリサーチしたところ、浅草サンバフェスティバルが終わるまで、あの一家をつjかまえることは無理かも…という返事。そうでした、サンバダンサーの妻を中心に、8月末のサンバフェスに家族で参加しているんでしたっけ。
 困っていた宮越さん、その説明を聞いて、「完成披露会にはテラスでサンバを踊ってもらいたいですね…」だって…。
 

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32、借主決定!

 完成を目前にして、しかし私たちの転勤の辞令はなく。
 宮越さんからは、「家は住まなくては痛みます。最低でも週一回は風を通さないといけないし、風呂を使用した具合も見たいし…」と、住め住め攻撃。
「いっそのこと、人に貸す?」
 と夫に言ったら、
「そ、そんな。そんな、まだ住んでもいないうちに人に貸すなんて、ヴァージンの娘を手篭めにされる気分だ」
 と言う。そんなもんなんですかね。私って淡白なのかしら。自分じゃなくても、誰かがあの家に住んで幸せになるならそれでもいいかな、と思ってしまう。想像力が足りないのか、能天気過ぎて、悪いことを想定する力量がないのか。いやいや、賃料がローンの足しになるという魅力に抗えないのでしょう。
 普通なら夫を赴任地に残して単身赴任させても新居に、というところなのでしょうが、私にはなるべく長く北海道にいたい事情ができていて。
 それは「柔道」。
 カクッときましたか?
 本当なんです。今、母子で柔道に夢中なのです。
 そして、子どもたちの習っている指導者が素晴らしい方なので、なるべく長くこの方の元で柔道を続けたいという希望がありまして…。夫が転勤になれば、諦めもつくけれど、家のために家族ばらばらで、しかも柔道も変わるというのが決心できません。
 そんな、右往左往している私たちに救世主が登場。
 その人も、
「人に貸すなんて…」
 と夫と同じことを言う。
 さすが血は争えません。そう、このセリフの主はおじいちゃん。
 長崎に住んでいる夫の父が、人に貸すくらいなら、自分が家賃を払って借りると言い出しました。実は彼、大の東京好き。転勤族のサラリーマンを引退した後は、長崎の実家に戻ったのですが、しばらく自分で東京にアパートを借りて行ったり来たりしていたほど。また、東京の拠点として利用しようと言うわけです。
 身内がしかも家賃を払って借りてくれるなんて、こんなありがたいことはない。
 すぐにこの話に飛びついた私たちですが、決してこちらから頼んだわけではないんですよ。でも、おじいちゃん、きっと周りの人には、
「いやー息子たちがどうしても借りてくれと言うから仕方なく…」 
 と、微妙に表現を変えて言うんだろうな…。
 
 

 

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