14、金山町への旅
突然ですが、建て主(夫)です。
日頃お堅いビジネス文章しか書いていないので、正直申し上げてこの手の文章を書くのにはとってもネガティブなのですが、そこは典型的な恐妻家。妻の強引な振りを拒絶できる気力や勇気もないので、やむなく筆を執ることにしました。
さて、小生とても几帳面な性分ですので、「金山町への旅日記」を執筆するにあたり、過去のメールを掘り返してみることにしました。すると、この「サラリーマンでも建てられる伝統構法&土壁の家」の建築にとって、随分とシンボリックな時期だったんですね。この頃は。
そもそも本旅行の話が出だしたのは、おそらく妻の日記にもある2003年3月7日の「三人衆揃い踏み」(9.参照)の時だったのではないでしょうか?
その後、小生の突然の旭川への人事異動発表。赴任前に「ぜひ!」と設定した「伝統構法三人衆」との懇親会(2003年4月5日開催。小生にとっては、大工の高橋さんと左官の江原さんとの出会いはこのときが初めて)の場で、「金山町への旅」がほぼ内定。妻は最初から完全に斜に構え、一方の宮越さん・高橋さんはもうノリノリ。ここでもやむなく「きっと俺が行くことになるんだろうなぁ」と覚悟を決めていたような記憶があります。(決して「いいじゃん!俺、行きたい!」なんて言ってないと思うんだけど…)
では、なぜこの「金山町への旅」が、我家の建築にとってシンボリックな出来事だったのか?「金山町への旅」における数々のエピソードを交え、以下に解説していきましょう。(宮越さん、高橋さんにとっては随分と心外な内容かもしれませんが、決して悪気があってのことではないですよ。むしろ親愛・信頼があるからこそ書けるのです!どうかお許しくださいね。)
① 宮越さんと高橋さんは、期間管理意識が希薄!?
2003年3月7日の「三人衆揃い踏み」時における初提案後、本旅行の日程調整が具体化しだしたのは、メールの履歴を見る限り2003年5月7日。おそらく小生の督促により、ようやく事態が動き出したのではないかと記憶しています。
当初の工事工程表ではそろそろ工事契約に向けて詰めの段階の時期。でもその気配はまったくなく、加えて建て主自身が最果ての地「旭川」に転勤していることも相俟って、とても焦燥感に駆られていた頃でした。
その後、何回かメールや電話でのやり取りを経て、5月26日に旅行日程が決定(6月28日~29日)。でもやっぱり後が続かないんですよね、この方々。結局前日時点で待ち合わせ場所以外の詳細がほぼ何も決まらないまま、旅行当日を迎えることになってしまいました。(典型的なサラリーマンの小生にはまったく理解のできない展開。こんなことではいとも簡単に出世から取り残されてしまいます!?)
そもそもこの旅行の目的は、我家に使用される木が「どのようなところで育ち、そして伐採・乾燥され、建築現場にやってくるのか?」、その一連を「実際にこの目で確かめる!」というのが一義だったと思うのですが、私にはもう一つの大きな目的がありました。それは「我家は一体いつ建つのか?」ということを宮越さん・高橋さんに「直接会って確認」することでした。旅行初日夜の旅館での打ち合わせの場。早くもかなりの遅れを見せ始めている工程表に対して、今後のリスケ(日程再調整)を問い質したところ、意外や意外。わずか「1ヶ月強の遅れ」ということで回答が返ってきました。「なぁ~んだ。俺の思い過ごしだったわけね。夏休みの頃には工事契約取り交わし&地鎮祭かぁ。」そう思って安堵したのを記憶しています。(その後、実際に工事契約取り交わし&地鎮祭が執り行われたのは、何と7ヵ月後の2004年1月18日だったんだよね。ハハハ。)
そもそもこの工事、いつもこのような展開だったんです!「伝統構法&土壁の家」なんて建てようなもんなら、工期は長期化、予算も膨れ上がる!というような話は、噂やモノの本等で散々嫌と言うほど見聞していましたが、まさか自らも同じ轍を踏むとは。とにかくこちらがちょっと油断すると、音信不通。業を煮やして厳しめのメールを送信すると、やおら動き出す。「いい加減にしてくれ!」と何度も腹を立てたことがありますが、でも何だか許せちゃうんですよね。宮越さんと高橋さんって。きっとこれが親愛・信頼の証なんだと思います。
② 高橋さんは、期待を上回る豪快な人だった!?
高橋さんって、本当に感性の人なんです。おそらく旅行当日までに用意していたのは、初日の宿と2日目の金山町森林組合のアポのみ(ちなみに初日の宿の予約は旅行前日に取った模様)。多分、それ以外はまったくノーケアだったのではないかと思います。そして、カーナビが古いのか、金山町が田舎過ぎるのか、道に迷うこともしばしば。最後はすべて高橋さんの嗅覚で目的地に辿り着いていました。極めつけは初日の製材所訪問の際。高橋さんの嗅覚でようやく目的地あたりに到着したかな?と思ったその時、道端に立っていた通行人を見つけるやいなや車を停止。そして、何と当該製材所作製のものと思われるウチワをおもむろに取り出し、「ここに行きたいんだけど…」と指を指して聞いているではないですか!思わず「この人、豪快!」と感動してしまいました。(物怖じすることなく、淡々と山形弁で応対していた通行人にも敬服しましたが…)
③ 宮越さんと高橋さんは、想像以上にわがままな人たちだった!?
2日目は、金山町森林組合を訪問。ここではとっても親切な杉井さん(参事)に対応していただきましたが、その土場を見てビックリ!素人の小生が見ても、驚くほど「太い」「長い」「でかい」木がゴロゴロ。いわんや専門家の宮越さん・高橋さんに至っては、まさに目がハート。建て主そっちのけで子どものようにはしゃいで「太い」「長い」「でかい」木に見入っていました。「この人たち、やっぱりとってもわがままだわ。だって、人の金でこんなに楽しそうに仕事してるんだもん。」そう、痛感させられた金山町森林組合への訪問でした。その後、杉井さんのアテンドで100年杉の森を見学。旧い小学校跡地を改良したお蕎麦屋さんでとても美味な天ぷらそばとお酒をご馳走になり、最後は杉井さんの自宅で厚いおもてなし。一生忘れることのできない山形旅行となりました。
宮越さん、高橋さん、杉井さんに感謝!
(後日談)
金山町からあがってきた見積もりを見て、宮越氏は超上機嫌。
「いやあ、想定していたよりも、価格が抑えられているんですよ。あれだけの材を、あの価格で入れてくれるのは嬉しいなあ。森林組合の杉井さんという方が頑張ってますからねー」
この、木材費の嬉しい誤算が、建築費削減に寄与した力は少なくありません。
お土産に、特産のそばや自家製のどぶろくを持たせてくださったり、上棟の際には、上棟には欠かせないお餅を持って駆けつけてくださったり。杉井さんにはその後もいろいろ、本当にお世話になりました。
ナナメに構えて山形行かずにゴメンナサイ。(妻)
15、北海道を満喫して、伝統構法の必殺パターンから逃れた話
一度は住みたかった北海道。
家作りという観点からは青天の霹靂、不都合だらけの北海道行きだけれど、自然観察を趣味とする妻としては、願ってもない北海道暮らし。
初めて見る真っ赤な大きな夕日。マンションの窓からはとんびが眺められ、徒歩5分の土手に登れば、360度、山々の大パノラマを楽しめる。 小学校には白樺林があり、歩道はとてつもなく広い。駅の裏の公園には二輪草が雑草のように咲き乱れ、アカゲラが、花見のためにしかれたブルーシートのすぐ上で鳴いている。東西南北、車で1時間も走れば、さまざまな大自然の懐へ。
北海道はスポーツも盛ん。東京と違って、グランドや体育館を確保する苦労がほとんどない。週末になれば、市民は公共スポーツ施設で、思い思いのスポーツを楽しむ。スポーツはただでできるのが当たり前。たとえばテニスコートを取るために抽選したり、何千円も払ったりする必要なんて全然なくて、1時間たった300円のコートでも閑古鳥が鳴いています。
こんなくらしを楽しまずにはいられようか。
憧れの知床、知られざる尾岱沼、標高3000メートルの楽園・旭岳など、旅を楽しみ、また、新しい友人に誘われるまま、北海道名物ミニバレーに興じたり、子どもと一緒に野球の試合に出場したり。
Eメール、電話、ファックスで、こまめに打ち合わせするはずが、そんなこんなで滞り勝ち。東京の「石神井の木の家チーム」も、建て主の北海道行きで気が抜けたのか、それに呼応して進行が徐々に遅れていってしまいました。
しかし、北海道行きだけが遅延の理由ではなく、中にはやむをえない理由もあって、東京にいても遅れていたのは間違いありません。北海道生活が楽しいから、心穏やかでいられるけれど、これがもし、東京のマンションで、完成を今か今かと待っていたとしたら…。
相当にイライラしていただろうなーと思います。
伝統構法は工期が遅れる例がほとんどとはいえ、5月に実施設計を終了し、年内完成の予定が、いまだ着工もままならない。 次の年はすぐそこなのに…。
……北海道転勤は、建築の神様のはからいだったかもしれません。
16、本当に、遠路はるばる北海道なのだ
「山形に、乾燥させてる木の状態を見に行きたいんで、ついでに旭川にも寄りますよ」
と、高橋棟梁から電話があったと夫は言いました。
「いや、寄るって言っても、山形からは遠いですよ.よく考えたほうが.…」
と説得したけれど、
「やーだいじょうぶですよー」
と、気にとめる様子もないという。
「大丈夫大丈夫、と本人が言うからさー、それ以上止めるわけにも行かないだろ? なんだか来てほしくないみたいに聞こえちゃうしさあ。でも高橋さん、本当に山形~旭川間の距離を把握しているのかなあ?」
私も、その距離把握していないぞ。
「そんなに遠いの?」
「遠いさー。車で10時間くらいかかるぜ」
「えー!!」
東京育ち同士だから、高橋棟梁の気持ち、私にはわかる。東京から見たら、山形も旭川も同じ北の都市。せっかく山形まで行くんなら足を伸ばして旭川に寄れるだろう、と考えているに違いない。10時間って言われたって、俄かには信じられないのだ。だって、東北と北海道、隣じゃん。
そういうわけで、高橋棟梁、旭川登場をお待ちすることになりました。
…しかし、待てど暮らせど棟梁は来ない。
たしか電話をもらったのは、秋だったと思う。この素晴らしい北海道の紅葉を見せてあげたい、と思って待っていたから。
しかし、実際高橋棟梁が現れたのは、季節が変わって、暮れも押し迫った12月29日! それも、年内に帰りたいという理由で、旭川滞在時間はなんと5時間。山形から10時間かけてきて、たった5時間過ごし、そして一日かけて東京へ帰るという、そういう無謀な、無茶な旅をしてしまう、宮大工・高橋義智! そういうキャラに私は弱いです(わが夫は絶対しないだろうな)。
せめて北海道らしいことを満喫してもらおうと、名物ジンギスカンをみんなで食べに行きました。ラム肉をほおばりながら、彼はしみじみ言いました。
「いやあ、遠かったッスー」
「そりゃそうでしょう……」
私たちもしみじみと答えるしかありませんでした。
彼が旭川でしたことといえば、このジンギスカンと、私たちの自宅マンションでのお茶のみと、それから旭川名物怪しいリサイクル屋さん巡り。それだけ。三浦綾子記念館も、旭岳温泉も、石狩川さえ見ずに、彼は旭川を後にしたのでした。私のお薦め、怪しいリサイクル屋さん計3軒は、かなり彼の心をとらえたようなので、まあ、それはそれでよかったのかもしれませんが。
5時ごろ旭川に到着し、
「それじゃあ!」
と彼が車に飛び乗ったのは、確か夜10時ごろ。
愛車ディフェンダーのバックシートは、エアマットが敷き詰められた快適ベッドだったので、「車中一泊・東京への旅」も安心して送り出したけど、実際は、青函連絡船にたどり着くまでに、3メートル先も見えない吹雪に遭い、死の恐怖を味わったそうな。
…そして、その後の東京までの旅が、気が遠くなる程の長旅であったことは確かです。
ほんとに無事に帰れてよかった。
あ、そういえばあのとき交通費渡さなかったけど、建て主としてそれでよかったのかしら?
渡すべきだったらゴメンネ高橋棟梁、私たち素人建て主なもんで……。